自分史=○○史!?
- アトリエ主
- 9月22日
- 読了時間: 2分
更新日:9月24日
おはようございます。アトリエ主です。
今年の秋の文化祭の展示において、アトリエ主の作品がややクローズアップされるという企画が進行中です。
これに向け、行事用の印刷物の記事を作成するため、インタビューを受けることになりました。
仲間内で行う気軽なものでしたが、我が作家人生を、適切な表現で形にしたことなどなく、作品に向き合う信条や心情などを淀みなく言うことが出来ませんでした。
地元会派の様々な役に付く作家様が、このていたらくかよ。と、泣けてきます。仲間の先生方は、それこそ流ちょうに作家信条を語ることが出来て、あらためて凄いなと思います。
それでも、インタビュアーの先生の上手な誘導で結構な文章量となり、真顔で「本にできる」とまで言っていただきました。
それもそのはず。故郷を捨て、もはや半生に及ぶ移住生活にまでスポットを当てれば、まあ大したことになりましょう。
ただ、正直なことを言いますと、創作活動と移住行為は、直接には関係ありません。
移住そのものの動力源は、「地域の方々に作品を見ていただきたいから。」ではなく、「きれいな景色・おいしい食事・豊かなアクテビティをこの手に。」だったのですから。
なので、万が一、自分史のようなものを編纂することになれば、その内容は紛れもなく、欲望に一途な「欲望史」になるはずです。
したいことをし、したくないことはしません。とか、とある作家の生き方としては非常に醜いものになるやもしれません。ただ、アトリエ主の作品のオーナー様には虚飾なくお伝えしたいのと同時に「地域への愛情は本物である。」ことは断言しておかねばなりません。それこそうまい言葉で書けたら最高なのですが、この土地を離れた瞬間、私は作家でいることが出来なくなります。そこだけは淀みなく言えるところです。
あともう一つ。自分史が綴れるほどの大作家になるには、なお一層の頑張りが必要ではあります。
アトリエ主でした。

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