感謝を言えたのは 只の運だった。。。
- アトリエ主
- 5月1日
- 読了時間: 2分
おはようございます。アトリエ主です。
先月、父が亡くなりました。
そこそこの年齢でしたし、繰り返し入院もしていましたので、家族皆覚悟はしておりましたが、いざその日が来ますと、やはり悲しみは甚大です。
放蕩の限りを尽くしているアトリエ主は、このように鳥取県に住まい、神奈川の実家の諸事情については弟にまかせ、二の次にしております。
当然、父の旅立ちに立ち会えるはずもありません。おまけに、間際に伝えたいことがあっても、そのような機会など無いかもしれないと思っていました。
ところが。。。でした。
毎年、美術公募展の参加の為4月に上京するのですが、スケジュールの半分は、実家に顔を出すようにしていました。
弟がその機に合わせ、祖母の法事と、入院中の父の見舞いをセッティング。アトリエ主も急遽休日を増やし、それに甘んじることにしました。
病床の父でしたが、しっかり会話もでき、美術展の成功を喜び、これからを応援してくれました。とたん、病床の父を二の次に、好き放題やらせてもらっている自分が妙に情けなくなりました。鳥取で画業につくことをためらわず了解してくれた父に「本当に感謝しているよ。」と伝えました。
それから1週間もたたない深夜、弟から父・臨終の報が届きました。アトリエ主は島根におりましたが、大至急米子に戻り始発の飛行機で帰省しました。
想像以上に何もできなかったことが衝撃でした。緊急時に使えるタンス貯金くらいしかない自分に呆然としました。
それでも。いろんな運のめぐりあわせで、かろうじて伝えることが出来た「感謝」でした。言いたいことは山のようにあったのでしょうが、この素晴らしい日本語にすべてを乗せることが出来たと思いたいです。
また、父の生前にいろいろ取り計らいをしてくれた弟にも感謝。いろんな感謝で毎日が繰り返されてゆきます。
アトリエ主でした。
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