伯耆の作家は大山に始まり・・・
- アトリエ主
- 2023年2月13日
- 読了時間: 2分
更新日:2023年3月20日
大山に終わる。
こんばんは、アトリエ主です。
以前、100号を超えるような、大作絵画の納品は、もう生涯に無いだろう。というような記事を書きました。
感傷的な表現ではありましたが、その実は私の大作絵画をお求め頂いたという嬉しさを、暗にお伝えしたかったというのが正直なところです。
納めさせていただいた絵画のモチーフは、冠雪した大山(だいせん;中国地方最高峰の山)。あまたある大山のお姿のなかでも、米子からの眺め。というご要望でした。この作品のエスキース(素案)は、米子の作家として特に集中しなければいけないところでした。
今回特に時間を割いたのが、このエスキースではないでしょうか?
気ままに描き始める絵画であれば、”描きたいもの”そのものが、エスキースとしてすでに固まっているものです。
ところが、今回、作家としての独自性を見せつつ、ある程度の要望を汲み、なおかつ大作である以上、多くの観客があることを想定しなくてはいけません。
何より、地元の作家が地元の風景を描くのですから、有名な中央の作家さんが描く風景より説得力が必要です(恐ろしいことです)。
なので、大量の素案を作成しては没にする。を繰り返しました。
まず、一番重要視したのは独自性です。地元には、大山を愛する沢山の画家先生がおられます。その中でも、私の作風を選択されたということは重要です。
私の絵は細密タッチで、一見リアリティーを追求する作風に見えますが、大作では、お芝居の舞台を繰るように、光や描写対象に演じてもらいます。
それは、ともすれば、右を左に、夜を昼に変える行為に等しいかもしれません。
しかしながら、あまた(地元)観客の方々に「刺さる」風景の最適解は、自身がこの風土で得たすべての感覚を広げてみせるしかありません。。。
ここに「大作」という絵画の小宇宙が見せる、難しさと楽しさが姿を現すのです。
次回に続かせていただきます。

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