こんにちは、アトリエ主です。
先般、その界隈では有名なペーパークラフト開発会社、F様より、「1/300米子城」が、いよいよ発売となりました。
これを御覧になった、はるか丸発出の「1/300米子城」をお求めの方のなかには「おいおい、ずいぶん城の雰囲気が違うな?」と思われたことと思います。
この件についての疑念や不安に対し、アトリエ主から説明の義務があると感じ、この欄を設けました。ご一読いただければ幸いです。
初めに。以降の文章は、いかなる企業、個人様に対しても、異議反論、名誉を棄損し攻撃を目論むものではありません。「はるか丸米子城」ユーザー様の名誉を守るために記すものです。ご理解ください。
まず、はるか丸米子城(以降はるかペパクラ)とF社様米子城(以降Fペパクラ)との根本的違いは、米子市文化振興課、および米子市文化財団においての「公認」か「非公認」かという点があげられます。
米子城の歴史的保存資料の少なさから、Fペパクラは、城郭研究者による建築学に基づく想像図が基であり、個人主観の影響を鑑み、米子市の「公認」を得ていないのに対し、はるかペパクラは現存の古絵図、および、明治から昭和初期に活躍された城郭復元画家「萩原一青」の絵を基にしており、これにより米子市の「公認(デザイン)」をいただいております。
「古絵図」なんてあいまいなもの参考にしていいの?と思われるかもしれませんが、いかんせん決定的な資料がない以上、もっともたしからしい資料は古絵図であり、個人主観の盛り込まれた前者デザインは、いかに優れた考察がなされていても「公認」という扱いには至らなかったのだそうです。
では、なぜF社は地元米子市に対し、暗黙にFペパクラ発売を開始してしまったのか?
これは残念ながら分からないそうです。大人の厄介な事情がないことを願いますが、近く回答を求めることになると聞きました。いずれにせよF社の功績を鑑みますと、平和的帰結に至ることが最良に思います。
城郭ファンの方々には無用のご心配をかけなければよいな、と願いつつ、双方のデザインをお楽しみいただければアトリエ主としても本望に思います。
はるかペパクラは、資本力と知名度においては弱小ですが、米子市長応接室にも展示される公式中の公式作品です。今後とも安心してご愛顧いただきたく存じます。
米子城はいまだ発掘調査の続く、国民へのお披露目が始まったばかりのお城です。
紆余曲折という成長を、楽しみながらご覧いただければ、我々地元応援団の喜びとなります。
これからも米子城をよろしくお願いいたします。
アトリエ主でした。
追記
Fペパクラ米子城を監修した建築の先生が、そのデザインの正当性を歴史家に追求されたところ、回答できなかったということがあったそうです。(深く考えていなかったとのこと。)
つまり。。。そういうことです。
ただ、建築の先生のご功績を否定するものではありません。今後も史実の究明にご尽力いただけるものと存じます!