おはようございます。アトリエ主です。
10月20日、文化庁の答申によって、わが米子市の尾高城が国史跡に指定されました。
米子の城跡において、米子城に続き、2件目の指定です。したがって、一地域の時代の変遷や、城郭そのものの進化の過程を伝える史料として、とても貴重な存在であるようです。
尾高城の詳細で正しい解説は、ぜひ専門のサイトなどでご確認ください。
在りし日の尾高城のイメージ図作成を依頼されたとき、お世辞にも歴史通とはいえないアトリエ主などは、どこにそんな城跡が残っているのか見当もつきませんでした。それもそのはず。初めて取材に訪れて目の当たりにした際、自然地形を生かした城のため、周囲の景観になじんでしまっていることが分かりました。
象徴的な米子城とは対照的な、自然な風合いを漂わせるこの巨大な砦を、どうやって描けば良いのだろう??
楽しくも悩ましかった制作の過程を、少し綴らせていただきます。
その前に。
制作にあたりご協力をいただいた関係の方々に、厚く御礼申し上げます。
誠にありがとうございました。
さて、繰り返しとなりますが、戦国の城と風体を画する、この中世生まれの平城「尾高城」は、天然の地形をうまく利用した大きな要害です。
なので、構造物なのか、自然の形なのか?壊されているのかそうでないのか?
その辺りを描くうえで、作家の側からの解釈が大切になってきます。
創作物は、論稿のように、なぞ解きを後世へと託すようなことはできません。絵などの形にしたとたん、それが事実や正解であるかのように扱われる可能性があります。
幸い、扱うのはあくまでイメージであり、少しは想像の余地があること。また、70年後半に行われた発掘調査ご担当者も現役で、様々なアドバイスや、当時の資料の提供がありました。なので、より具体的なイメージ構築をすることが出来ました。
それら下準備を終え、まず初めに取り組んだのが、粘土による立体模型の作成でした。
続かせていただきます。